戸台川を更に下り、鋸岳第一尾根、第三尾根、
そして甲斐駒と駒津峰を見る。峰々との別れも近い。
90年代後半よりとりわけ顕著になった、実社会での形式主義的統制と精神価値の貧困化は、
新世紀に入り、無数の大輪の仇花を、至る所にみすぼらしくも咲き誇らせるに至った。
そうして内部生命の根柢は、自ずと実生活から離脱し、非日常の空間へと移動する。
組織内での不断の苦闘を闘いながらも、生命力の核心は、山岳行に全面投入され、生と死との狭間の領域で、数々の意味形象を写し取った。
それは、いつの間にか奪われ砕かれ忘れ去られた、麗しき姿。既知であった筈の、全くの未知、時の彼方で嘗て我々自身であった崇高性。
全体的衰退の果て、しがみ付いた暗き奈落の縁で、自然からの最後の恩寵が開かれる。根元的再構築、その儚き伝説の、仄かな彩を漂わせて。
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