1987年夏、7月下旬の八ヶ岳南部、8月中旬の甲斐駒日向八丁尾根に続き、

同月下旬、北岳から塩見岳を目指す。

この年の梅雨時から晩秋にかけては、一週間ほどの合間を挟み山行を次々と連続させ、

結果期間の半分ほどは、山中で過ごすことになっていた。

いわば学生時代の最後の年、浮薄な経済活況が巻き起こす狂騒の只中で、

自身の行く末は全く見通せないまま、ただ山岳での現在だけが、

己の生そのものと、なっていたのか。

       

お盆明けの時期の通例通り、

山は厚めの雲に覆われがちとなり、

私はまた新たな期待に静かに満たされて、

慫慂と山地に赴いた。