阿弥陀岳南稜から見る権現岳は、編笠、西岳方面や、赤岳主稜線上からの展望とは異なり、その天を指すような鋭角的なラインを、清新さと洗練を、一切示さない。

そこにあるのは無骨、鈍重、重厚、野蛮とでも言うべき、正反対の在り方であって、それはまた、ここから見る阿弥陀や赤岳が帯びる特性と、同種のものでもある。

そこに我々は、相反する価値原理の同時存在という、山岳の、いや自然そのものの基本を、象徴的に見て取ることが出来るのかもしれない。

この日も山は、厚い雲に見え隠れしながら、巨大な塊としての不気味なまでの凝集度を、帯び続けていた。